名称
立命館大学体育会空手道部(新生)
流派
剛柔流
加盟
全日本学生空手道連盟
全日本空手道連盟剛柔会
総監督
小山 正辰 (1975年卒)
ヘッドコーチ
吉田 真澄 (2006年卒)
コーチ
大澤 優喜 (2022年卒)
立命館の空手は昭和の初めに「唐手研究会」として発足した歴史のある部活です。練習は実績のあるOBの先輩や日本代表の先輩方からハイレベルなご指導を承っています。また空手の練習だけでなく、礼儀・作法や人間性の向上も目指しています。
昭和はじめ、沖縄空手界一の実力者 宮城長順が関西、京都の地で唐手を披露、多くの若者が集い、昭和10年立命館大学に「空手道同好会」がスタートした。宮城長順は、沖縄那覇の素封家の一族に生まれ、14歳より那覇手の大家、東恩那完量の弟子となった。東恩那完量の那覇手を継承し、師亡き後空手道の研究を深め、日本内地にも進出、昭和5年頃「剛柔流」を名乗り始めていた。
立命館大学の空手道同好会は、日本内地における「剛柔流空手道」発祥の地といえる。
空手道同好会はその後、空手道部として発展していく。初期(第2次大戦前)の部員・指導者に、山口剛玄、曺寧柱、与儀実栄、宇治田省三、木崎友晴、打揚憲三、等がいる。
戦後、学生の空手道では、昭和30年頃大学間の連携がすすみ、学生空手道連盟の結成、競技ルールの作成、大会の開催など大学空手道部を再興し、加えてより大きなうねりを空手道界に起こした。
その中で剛柔流宮城長順の正統を継承する我が空手道部は大学・全日本の選手・指導者を続々と輩出する。第1回大学個人選手権で優勝したのは、本学、三本同(みもと・ひとし)。
空手道が国体の正式種目になったのが、昭和54年滋賀国体から。インターハイ(高校)の正式種目となったのは昭和63年であった。 この間、世界大会は昭和45年から始まり隔年開催で20回を越える。OBでは、小山正辰が第6回世界選手権男子形の部で優勝。古川哲也が第15回アジア大会男子形の部で優勝している。
関東・関西学連の大会も、半世紀を超え、競技として空手道は定着した。立命空手部は、全日本学生個人 組手優勝者5人、形優勝者3人。さらに団体優勝2回を数える名門大学として存在してきた。
華々しい歴史や戦歴の蔭に「苦しい時期」もあった。練習中の事故も経験したが、学生・OB会・大学が一体となり乗り越えた。2000年以降も練習場の確保に苦労するなど活動が十分にできない時期もあったが、部員は明るく強く活動し、同好会として「部活動」を存続させてきた。
2007年学生空手道連盟に復帰、関西学連2部からスタートし、2009年1部昇格、2010年に10年ぶりに全日本学生選手権へ出場。2015年に体育会空手道部(新生)として再始動。健康な肉体と精神を培い、人間性を高める場として活動を続けていく。